個人的な総括とか

 
最終回がああいうものだったから、当然ながら、世間では賛否分かれてるようで。
破綻してたわけではなく、インパクトなら間違いなくあった。
ラストシーンなども、色々解釈、議論を楽しむのには丁度よい具合で、ただ思わせぶりな
だけのカットをバラ撒いてるってわけではないと思う。
が、諸々踏まえた上で、自分はやや否寄りかな。

伯爵夫人好きだったので、紘子ちゃん擁護の視点で語ってみよう。
ティアが紘子の嫉妬心を取り込んで生まれたものであった、故に一連の騒動は茶番劇、
いんちきゲームに過ぎなかった、ここまではいい。確かに皮肉で残酷な話だ。
だが、それって紘子=ティアということではないよな。
にもかかわらず、全ての元凶はあなただったんだ、みたいな話になっちゃうのはどうなのよ、と。
紘子が自覚的に全ての状況をコントロールしてたわけじゃないんだから。
 
憲法の思想良心の自由というヤツは、それが内心の領域に留まる限り絶対無制限の保障をされている。
平たく言えば、頭の中で何考えようと罪にはならんということで、これが罪になるとしたら
世の中エライことになってしまう。
頭の中でドス黒いこと考えてても、それを暴走させないで理性で抑えようとする。
そこで苦悩が生まれ葛藤が起こる。よくあるコントみたいに、天使の自分が勝つこともあれば、
悪魔が勝つこともあるだろうが、この葛藤が人間ってものの肝だろう。

紘子ちゃん本人も、輝道への自分の感情に何らかの決着をつけることを行動原理として
いたものの、対紀世子以外の場面では自分を律しようという態度が窺えたし、
何より25話の時点では、ただの駒ではなく、我が子とも言える存在となった
オルガたちとの関係にも、大きな価値を見出してたと考えていいだろう。
でも、ティアがああだったから、つまり本当の本心では好きな男を求めてただけなんでしょ?
ということだけで、そういった一切が全て否定されるというのはな。
 
この作品のテーマってどこにあるの?と考えると、本編中に引用されたギルガメッシュ叙事詩
「命に限りある人間なのだから、日々の暮らしを慈しみなさい」てな一節と、それに対置する
人間の愚かさ、人の営みの儚さ、という辺りに象徴されてくるんだと思う。
最終話までの流れを重視する人にとっては前者、最終話肯定する人は後者をテーマと捉えやすいのかね。
最終話の展開で、逆に前者がテーマとして強調されるってな見方ももちろんあるだろう。
別に人によって、結論はどっちに寄っていてもいいと思う。
が、建前とか偽善とかいった殻を剥いた後に出てくる人間の本心なんてあの程度のもの、
だから人間って愚かだみたいなのはやっぱりフェアじゃねえよなあというか。
殻の部分だって人間というものの一部、往々にしてやせ我慢でしかないとしても、
建前も偽善も貫きとおせばそれはそれであり、というか、貫こうとする意志自体が
人間の善性、みたいなね。
善、って言っちゃうとちと安いか、まあともかく本当の本音の部分だけでどうこういうのは
一面的というか、浅薄な見方だと思うですよ。
そういう意味で、正にラストの展開は「三文芝居」と感じられた。
だからラストシーンも、「人は、人類というものは…」みたいなスケールではなく、
紀世子姉ちゃんもどきと紘子ちゃんもどきの代理戦争による、女の戦いの幕引きと
いう以上には見えなかった。敢えて卑小な言い方をすると、昼メロ的ラスト。
 
別にお気に入りのキャラに撞着して言ってるわけじゃなくて、最終回初見時の違和感を
言葉に起こしてみるとこうなった、ってことで。
紘子ちゃんは、最後には輝道と抱擁を交わし、擬似家族の母としての自分を捨てて、
女としての立場に耽溺することを選んだので、立派な人格者でもなんでもないしな。
 
以下は作品そのものについてより、もっと散文的なこと。
まず、やっぱりちょっと尺足りなかったのか?とか。
これまでが、割と細かいとこまで疎かにせず丁寧に描いてたアニメだったから、
24話時点での暴れ出したブラッタリアたちのフォローがなかったのは?だったし、
セプテムのノウェムに対する描写とか別になくても良かったじゃん、とか。
ノウェム以外のギルガメたちは最終回では木偶でしかなかったけど、意図してそう
描写してたのなら、ますますセプテムなんだったんだ、だ。
そんな辺りがちょっとな、まあこれは粗探しかもしれん。
 
で、最後に。これはインパクトは凄くあるラストなんだけど、こういう全滅とか、
骨折り損のくたびれ儲けみたいなラストは別に珍しくもないんだよな。
パッドエンドである、というだけではプラスマイナスいずれの価値も生じない。
ハッピーエンドが、ハッピーエンドであるというだけではいずれの価値も生じないのと
同じく。
ハッピーエンドだと視聴者が予定調和的満足感を得やすく、バッドエンドだとインパクトを
与えやすいということになるのだろうが、インパクトのある話イコール深い話、優れた作品、
とかいうことではないよな。
一杯のかけそば」が流行った時によく言われてたと思うんだが、泣ける話イコール良い話、
優れた作品ではないよね、というのと同様。
なんだけど、キッズ向けとかを除くと、割と作り手も受け手もハッピーエンドよりは、
バッドエンド的要素があるものを望んだり、もてはやしたりって傾向があるように感じる。
まあ、円満ハッピーエンドより、バッドエンドのほうが見た後であれこれ語りやすいから
そう見えるってのはあるか。
バッドエンド的なものがダメと言うのじゃないが、ちょっと視聴者に負のインパクトを
与えることに必要以上に気が行ってないかい?という印象を持ったもので。
わかりやすいところでは麗子と風子の死に様で、あれは藤崎くらいの死に方で充分であり、
わざわざ遺体を引き裂くことで伝えたい何かなんてものがあったとは思えないな。
ラストのねーちゃんの笑いも個人的には蛇足っぽいが、あれは意味を見出す人もいそうか。
なくても、いんちきゲームの結末の皮肉さとか、人間の業、みたいなもんは伝わると
思うんだがね。
 
なんかダラダラ書いたが、「だからギルガメッシュは駄作」とかってつもりはないっす。
今でもトータルで見れば好きだし。
ただ、最終回については、その語り口や、語ろうとしてる(と思われる)ものは、やっぱり
好みではないし、凄いなあとも思えないのがちと残念と。
25話まででいいな。もしくは、最終回でも、EDテーマのとこで終わると意外と許せるやも
しれず。あの曲、作品内容に合わせたとも思えないのに、すげえハマってるもんなあ。